こんにちは。文学部3回生のせっちゃんです。
と言っても、実際に私と会ったことがある読み手はどのくらいいるのだろうか。「せっちゃん」と言って伝わるのか?それとも”被処分者”として議案に名前が登場する人間と言えば分かってもらえるのか?
何故私がこういう疑問から出発したのか。それは私が寮生でありながら寮に居ないからである。
一回生の頃から多くの寮生に「お前寮にいつも居ないよな」と事あるごとに言われ続けてきた。年を経るごとに寮から離れる日数が長くなっていく。
寮が―特にC12が―居心地悪い訳ではない。話していて非常に楽しい同期にも恵まれたし、優しい同部屋にも、刺激的な先輩にも巡り合えた。
ごく稀にC12談話室に帰ると、「帰ってきたなあ」という安堵・安心を感じる。
この感覚を他の談話室に行ったときには感じないから、やはりC12談話室は私にとってのホームなのであろう。大スクリーンでの映画、本棚に並ぶ蔵書の数々、堂々鎮座する雀卓。
一つ一つのオブジェクトにまつわる記憶は今でも蘇る。
所謂トポフィリアを京都の中で最も感じる”場所”だ。
一回生の春に染みついた談話室睡眠の習慣はいまだ私の中に根強く残っている。私はここ二年ほど、日本全国を働きながら旅して回っているのだが、各バイト先の宿舎でもリビングで寝ることが多い。
もちろん入寮以前は、そんな習慣は無かったのだから、これはC12に私が感染した例の一つと言えるだろう。
また、同ブロックが故に生まれた不思議な縁も多くある。
今は寮を離れた先輩と寮祭で生まれた学生演劇集団で一緒に共演したり、ある先輩とは今まさに利尻島で共同生活を送っていたり、私が入寮する前に在寮していた先輩たちと一緒に農作業をやったり。
これらはすべてC12という”場所”が繋いでくれた人の恵みである。
先程から私は徒然なるままにこの文章を認めているが、ここまで書いてきて見えてくるのは私の”場所”への執着だろう。
私の思考の根幹には”場所”に関する思考が常に横たわっている。
しかし、この”場所”性に対する好奇心のあまり、私はC12を離れて新たな”場所”に身を置くことを常に志向している。
一所に留まりたいという”場所”への願望と新たな”場所”で生まれる縁への渇望とのせめぎ合い、そのふたつの揺らぎの中で私は生きている。
結びに代えての一言。
この文章企画を機に”場所”的に遠い私のことについて少しでも知ってもらえるとありがたい。

