年の瀬、こたつの中で

C12文芸部未分類

 午前四時、談話室でのたうち回りながら叫んでいると、同期の一人に「なんでお前が脳破壊されてんの?」と笑われた。

 京都にやって来た去年とは打って変わって、今年は人間関係の幅がそれほど広がらなかった。今年に入って仲良くなれた人もたくさんいるが、面倒臭さと恥ずかしさから来る引きこもりゆえに、然るべき集まりの数々に顔を出さなかったのだから仕方ない。

 それでもみんなは進歩しているわけで、知人同士でバンドを組んだり、私の知らないところで飲みに行っていたり、恋愛をしていたりする。

 私は孤独なのだろうか?決してそうではないはずだ。それなのに私は確かに孤独を感じるようになった。さびしいよーと叫びたかっただけなんだろうと思う。

 みんな、私の知らないところに行ってしまうような気がする。やめてくれと言いかけたところで、自分だって同じように、誰かを孤独にさせていたに違いないことに気がつく。数年前からの行いに、今になって頭を抱えるのだから何とも恐ろしいことだ。

 別に誰も、私から人との繋がりを奪ってなどいないのだ。有限の人間関係の中で幸せを享受しているだけ。それでいい。みんなに幸せになってほしい。ただ、自分は自分としてしか生きていけない。

 2025年、良い年だったと思う。気まぐれで旅行に行った。友人の作る音楽に酔いしれた。戦争映画を二本続けて観た。本もご飯も、何でも買った。お金がしっかり無くなった。良い年だった。

 けれども、こたつの中で365日を振り返るなどという暴挙に出ていると、孤独という小さな小さな一点が、ブラックホールとなって全てを呑み込んでいってしまう。自らの罪に向き合わなければならなくなる。だから妙に高いコンビニの酒をかっぱらって、奇声を上げるのだ。

 今年は年末年始から少し時期をずらして帰省することにした。母は寂しがりなので、京都で年を越すのは学生生活においてこれが最初で最後なのかもしれない。もう12月30日なのに、まだどこで誰と年を越すのか決めていない。鴨川でオフィーリアのようになろうかな。きっとそれは、間違っている。

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