旅と花(うの)

C12文芸部未分類

花束をもらった。昨日、最後のゼミの前に卒業アルバムの写真撮影をするとき、メンバーの1人が黄色い花束をくれた。卒論発表のリハーサルを終えて、私はこの花束のための花瓶を買いに行かなければと思って、大学近くのショッピングモールに向かった。iPhoneのマップで徒歩30分。まぁ、いいだろう。夕暮れの中、鴨川沿いの真っすぐな道を、てくてくと歩いた。花束を眺めながら歩いた30分の道のりはあっという間だった。

花は生きている。花束をもらったときに良い香りがして、それだけでもう良いなと思った。生きているから手間もかかる。毎日、水を替えて、茎が腐らないように少しずつカットして、水も腐らないように10円玉を入れる必要がある。生きているから、いちいち様子も気になる。バラの花びらは外側から朽ちてしまうようで、痛んだ部分は少し半透明になって、よく見ると繊維質の綿のようなものが出ている。昨日、茎が細長すぎて倒れ気味だったかすみ草は、重力に負けまいと 明らかに上を向いている。いまスマホで必死に調べて出てきたフリージアという名前の花のつぼみは、心なしか昨日より膨らんだように見える。これから、きっと枯れてしまうだろう彼らのことを寂しく感じつつ、できるだけ大切に見届けてあげたいと思う。

話は変わるけれど、先日、旅に出た。福岡県に3日間行って、博多と、志賀島と、宗像を観光した。宗像で泊まった宿は車がないとアクセスが悪くて、宗像神社に寄り道してから帰るには、「道の駅むなかた」のバス停まで歩かないといけなかった。iPhoneのマップで徒歩40分。まぁ、いいだろう。日が徐々に高くなる中、海岸沿いの真っすぐな道を、てくてくと歩いた。海を眺めながら歩いた40分の道のりはあっという間だった。

海もきっと生きている。波が押し寄せ、また引いていく あの海の景色はどれも同じようでいて、しかし常に移ろって、二度と同じ波の形はない。昔の歌人もそんな歌を詠んだだろうし、いつか誰かもそんなことを言っていた気がする。浜辺には、波が打ち寄せた跡なのか、小さな地層みたいな模様ができていた。その日は風が強くて、砂浜の表面の砂が風に乗って飛んでいって、風の流れそのものを示していた。色とりどりの貝殻が打ち上げられている場所があって、虹みたいで嬉しくなった。どれも写真に撮ろうとしたけど、あまりうまく写せなかった。だから ちゃんと目に焼き付けて、ここにも書いて、大事に残そうと思った。

水辺の、まっすぐな道を、てくてくと歩く時間。旅と花、非日常。これから東京のビル街で働くのだとしたら、それらは生活から遠ざかってしまう。だから、意識的に確保しなければならない。思い立ったら海の見える場所まで旅に出て、少し特別な日には花を飾るために部屋を片付けられる大人であれたら、どんなに素敵だろう。さらに欲張りを言うなら、その5年後とか10年後に、誰かの手を取って旅に連れ出して、花束をお店で選んで、大事に持ち帰って手渡せるような、そんな誰かとの毎日を過ごしたい。

2025.1.29

うの

社会人1年目(C12OP)。1回生入寮、4回生卒寮。
以下、4回生時プロフィール↓
趣味は寮でのバンド活動(歌、ギター、ピアノ)。体育会サイクリング部所属。談話室では主に皆と話したり、バンドの練習をしています。

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