インドネシア紀行文(エノ)

C12文芸部

 夏休みに、バリに行った。べつに学生特有の限界旅行でも何でも無く、ただ家族に行くぞと言われたから行った旅行だった。自分の主な役割は誰一人英語ができない家族に代わって事務的な通訳をすることだ。インドネシア本土からも乗り継ぎがあり、トランジットでは父親の予約した食事付きの清潔な休憩スペースでビュッフェを食べた。バリにまで乗り継ぐ機内から見える海がきれいだった。
 ホテルまでのタクシーから見える異国の雰囲気は確かに興味深かった。何より驚いたのは信号が無いことで、信号ありきでないと移動もできないような己の感性には初めなかなか慣れなかった。しかし考えてみればあらゆる法と同様に、「人間の簡便」ありきの信号や法なのでありその逆ではなかったのだったと、交差点、空気読みで交通する車内で感じ入る。
 ホテルに着くまでは少し大変だった。というのも、系列のホテルが近場に複数あり家族で泊まるホテルそのものになかなかたどり着けなかったからだ。しかしまあそれもたいしたことではなく何度目かのタクシーでホテルに着き、ホテルの敷地内を物色しながら自室へと向かう。この敷地というのも広大で、プールの複数はもちろんジムやらなにやらもあった。このあたりが定かではないのは旅行を通してどこにも行っていないからである。
 とにかくどこも清掃の行き届いたホテルで、着いてまず寝たように思う。終始親兄弟が行きたいという方へついて行くのみだった。しかしずっと寝続けることができるわけでもなく、たまに起きてはバリ島内での歓楽街や若者の街を見ていた。
 そのような生活リズムだから、夜中に起きては敷地内を散策した。夜間にもロビーに従業員がおり、なんとなく話しかけたりしてみる。このあたりは夜中に出歩いても大丈夫ですか? もちろん、敷地内は安全だよ。
 親兄弟が行きたがる先は総じて映える場所だった。あるところでは砂浜で料理を注文しながら日の入りを見た。あるところではコロシアム状の客席に座り民族舞踊を見た。民族舞踊が上演されていた寺院で聞いたガムランの音は美しかったように思う。
 ある日のタクシーの移動、この日もホテルにタクシーを呼んでもらい目的の観光地まで向かう。なかなか時間がかかる場所だった上、自分がぎこちない通訳をしなければならない都合上助手席に座った。手持ち無沙汰だったこともありドライバーに話しかける。渋滞の穴の中だった。
 初め、バリ島で現地の人が好きな場所を聞いてみたりした。ドライバーの青年が楽しそうに答える。SNSをやってないか聞かれる。帰りもタクシーを呼んでくれとのことである。しかし、その男がやっているSNSはどれもやっていないことを伝えるとこの話はうやむやになった。いつも渋滞は多いのかと尋ねる。そんなことは信号がないから当然なのだが、その男はそうだと答える。
 途中、ふと自分がホテルで調べていた若者の街のことが頭をよぎる。この男も若いのだし、現地の若者が休日にどういう所に行くのか気になった。バリの若者は休日に何をしていますか? 自分が調べた歓楽街はクラブやバーが建ち並んでいた。どこが良い店だったなり、この家族旅行で行けるのかは分からないがいずれ参考になるかもしれないと思っていた。自らの表現のつたなさもあり、最初文意があまりうまく伝わらなかった。祝日や記念日に行く場所? いや、もう少し普通の週末に遊びに行くような場所。車内から軽トラの荷台で資材を抑えながら通り過ぎる若者が見える。男はそちらに目を向けた。バリの若者は金がない。休日も次の平日のために働くんだよ。
 目的地に着いて、男は名刺を渡してくれた。SNSをやっていないから、もし帰りもタクシーをつかうなら名刺に書いてある電話番号にかけてくれとのことだった。この電話が国際電話になってしまうかもしれない、とか言い訳のようなことを考えて、結局その名刺は捨ててしまった。

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