夏に考える(手石)

季刊C12『夏休み』

今年、私は大学生活で一番充実した夏を過ごしたと思っている。新しい場所への旅や移動手段を得たこと、そうして考えることにも応用できたと感じる。このように文字にするのは初めてのことなので自分語りのような口調になることをご容赦いただきたい。

 この夏、ひょんなことから車を手に入れた私は以前より行動の幅が増えるようになった。そうしていろいろなところに旅に出た。何も考えずとりあえず目的地だけ設定して旅に出る。ありふれた観光名所に行くことや旅行のしおりのようなプランを練るのではなく、行き当たりばったりで次の目的地を決めていく。一種放浪に近いものでもあると思う。そんな旅をしたい。もちろんそれは私の怠惰ゆえの行動でもあるが、そういった動き方が性にあっているのかもしれない。自分の予定と組み合わせて様々なところに行き、その場その場でいい感じに行けそうなところを探し出す。るるぶなどのガイドブックに頼るのもいいが、令和の今はネット社会であり行きたいところをすぐ探すことができる。少々味気ないものでもあるが利便性は格段に上がっている手前使わない手はない。そうしてふらりと立ち寄った店で地元の人と交流したりするのも旅の醍醐味である。一つ思い出話を挟む。この夏C12ブロックで旅行に赴いた際、入った居酒屋で地元の人と意気投合し一緒に飲む流れになった。私たちが熊野寮の出身であることを話すとその人も元は京都市内の出身であることがわかり、いい居酒屋を教えてくれた。そのような新しい出会いの体験は旅行ならではのものであり、そこに旅行の意味を感じる。行き当たりばったりの旅ではそういった体験をすることが多い。

 この一種の「適当さ」にはもう一つ自分にとって重要だと考えていることがある。私は趣味でDJを行っている。あのクラブで曲を流すDJである。この先の話は理解れづらい可能性もあるため、少々かみ砕いた表現を用いて著すこととする。世の中には様々なDJ論を振りかざすDJがいる。世間において、意気揚々と批判する「評論家」になんとなく嫌気がさすのと同じように、私はこうやって曲を流すべきだ、と形容してしまうことに意味がないと考えている。ギターの弾き方一つとってもわかるように、コードの抑え方など基本的な音の出し方を学んだ先にこの音を流さないといけないというものは存在しない。アコギで弾き語りするも、パンクバンドを結成するも自由なのである。DJも全く同じである。よくクラブと聞くと想像するような、酒を飲んで話しかけて持ち帰る、知っている曲でみんなで盛り上がる、そんな空間も、アンダーグラウンドな音を聞いて踊ることに終始するような空間もどちらもクラブであり、そこに優劣はない。流す曲に個人的な指導や理論、「DJ論」なんてものは必要ないと考える。そのうえで、自分が理想とし追い求める空間について語りたい。

 よくDJってボタンかけて曲をかけているだけ、なんて言われるが全くそうである。再生ボタンを押せば音は流れるし、一時間しっかり各機能を教われば多少形に出来ると思う。ただ、音が止まらず、曲が走り続ける中での空間設計をどう行うかを考えてプレイするのが私が追い求めるDJである。その中で私は誰も知っていない曲だが、直観的にこれがいいと思えるような曲で空間設計を進めたい。その過程では、旅と同じように1から100までプランを練るのではなく、目的地だけ設定してその場その場で行き当たりばったりな進め方をするのもいいのではないだろうか。その場に来てくれたお客さんと自分の作りたい世界観を融合する。そうすることでもちろん途中には失敗や勘違いなどもあるかもしれないが、上手く噛み合った時には未知数の成功体験が待っているかもしれない。その可能性に賭けてみて、できるだけ成功確率を高めるように行き当たりばったりをできるようになる。この夏、様々な旅や人との出会いを踏まえて私は大事なのではないかと感じた。

 もし暇であればYouTubeなどで七味屋台と調べてみてほしい。その場その場でお客さんの好みを聞いて七味を調合するあれだ。その七味調合の工程は絶対的なレシピがあるわけではなく、客の好みと自分の経験をもとにその場その場で作っていく。口上に目が行きがちではあるが、もしよければその工程を見てみてほしい。自分の今の行き当たりばったりな生き方やDJのプレイ方針なども考えて、今後は経験則から自信をもって確信を持った行き当たりばったりをやりたいと感じた今年の夏であった。

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