金曜の午後は毎週ゼミがあるのだが、この日は講義室で意見を交わす代わりに陳列館(史学系の文献をはじめ、東洋美術関連の図書や資料が収められている京大の施設)の掃除を研究室の学友たちとすることになっていた。院生の先輩の指示に従い、気の遠くなる作業をひとり黙々と進める中、資料室の向こうでは数人のグループになってカビ取りをしている学友たちの楽しそうな話し声が聞こえてくる。遅刻して行ったことで会話の集団からあぶれた自分は、ゼミでの肩身の狭さを感じながら陳列館の冷たい床につま先立ちして作業を続けるのだった。
退屈な掃除もひと段落つき、打ち上げと忘年会を兼ねて研究室でパーティーが開かれた。クリスマスが近いこともあり、自分は自作のシュトーレンの余りを供出することで少しでも肩身の狭さを払拭してから打ち上げに加わろうと画策した。その企みは見事に功を奏し、自然と会話の輪の中に加わることができて、寮の話をする流れにもなった。
しかし、寮のことを話していても、一応理解したように振舞ってはくれるがどこか一線を引かれているような感覚がどうしても抜けなかった。今でも吉田寮には入寮できること、ガサが不当であること、タテカンは立てれば立てるだけ良いということ、ひとつひとつの固い結び目をほどくように根気よく話してはみるが、なかなか芯まで伝わっている実感がない。無力感に襲われて机に転がったほろよいの空き缶を手で潰してみたりしているうちに、気がつけば話題は年末の予定などに移ってしまっていた。せっかく馴染めたと思った輪の中で自分だけ酔いがさめてしまった感じがした。
どこか消化不良な気分で研究室を後にし、人も車もまばらな東大路の緩やかな下り坂に身を任せてゆっくりと、いつものように寮に帰る。そのまま部屋に戻って横になっても良かったが、今は少し人と喋りたいと思って食堂に向かった。食堂では仲のいい同期や先輩が机を囲んで談話しており、えもいえぬ安心感というか、帰ってきたなあという実感を与えてくれる。
ファミマで買ったおでんやカップそばを食べながら、食堂に残っていた5人ほどでYouTubeに転がっている適当なイントロクイズに興じる。フリー音源のイントロじゃ全然分からないと文句を言いながら、「kiroroっぽい」とか「シティーハンターのオープニングっぽい」とか適当なことを言っては共感したりされたりして笑い合っていた。いろんなことでモヤモヤしたり考え過ぎたりすることもあるけど、こういう何気ない夜に、何気ない会話に何度も救われているなと思うし、改めて自分は寮のことが好きなんだなと実感した日だった。
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