訳ありレモン(まーてぃん)

とある日のこと

 なんだか今日は息苦しい一日だった。無理に体をベッドから起こして、何のあてもなく徒歩一分のファミリーマートへ向かう。不穏な灰色の雲が、いつもよりも近くにある気がした。
 僕は閉塞感でいっぱいになっていた。自分も周りもすべて行き詰っているように思えてならず、何をしてもニヒリズムに陥りそうだった。逃げ出すように何かしたい、どこかに行きたいと一念発起するけれど、そんな元気なんてないぞ、と心の中の何かが言うとその決心は急速に萎んでしまうのだった。
 歩きながらふと、梶井基次郎の『檸檬』を思い出した。そういえば彼も晴れない憂鬱に頭を悩ませていたな、と妙な親近感を覚えた。が、それを解消するためだけにレモンを買いに行く気力も、かの有名な丸善がある新京極の雑踏を搔き分ける勇気もない自分にため息をついた。
 コンビニに着くと、怪しげに店内をうろついて物色した末、無駄に高い卵のパックだけを買って店を出た。改めて外から見る熊野寮は、要塞のようだ。僕の息苦しさはこの堅牢さから来ているのだろうか。自分の居室に帰っても気分が優れることはなさそうだったから、階段を上ってすぐの談話室に行くことにした。
 昼下がりの談話室には、まだ誰もいなかった。座って少しぼーっとしてから、さっき買った卵でだし巻き卵でも作ることにした。
 談話室から五歩も歩けば二階の炊事場がある。様々な人の生活感が溢れるその場所で、何やかんや混ぜて焼いて出来上がっただし巻きは、鮮やかな黄色だった。談話室に戻ってそれを食べながら眺めていると、また『檸檬』のことを思い出した。ふっくらとした黄色のだし巻きが、なんだか訳ありのレモンに見えてくる。熊野寮を木端微塵にするほどの爆発力はなさそうだ。けれどもその温かさと優しい食感が、僕の心を綻ばせていた。
 ふと外を見ると、空はさっきより明るくなって、窓には光が差し込んでいた。

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