最低気温が毎日0度近くになり、京都に本格的な寒さがやって来た。地元よりもずっと暖かいはずなのに、田舎と違って京都は車移動が普通ではないから外にいる時間が多く、その分だけ寒く感じる。バイト先で窓の外に目をやると、雪が激しく降っていた。
帰宅時間になって建物を出るころ、雪はみぞれになっていた。ほかの人たちが傘をさしているのを見て、慌てて鞄のなかを探っても、折り畳み傘は入っていない。必要なときに準備を怠っていた過去の自分を恨みつつ、コートのポケットに手を突っ込み、身を縮こませながら駅まで歩いていくことにした。
髪の毛が少しずつ濡れていくのを感じながら考えていたのは最近身の周りで起きた(起こされた、といった方がいいかもしれない)トラブルについてだった。先月も同様にトラブルに巻き込まれたので、二か月連続で厄介ごとを抱えていることになる。
詳細は書けないのだが、変わった人、感覚のずれた人というのはどこにでもいるものだ、と最近思う。公務員になった友人たちからはそういった話をよく聞いている。人の話なら笑っていられるが、自分の身に降りかかるとそうはいかない。どうしても対応する過程で疲弊してしまう。困ったものだ。
しかし、厄介ごとを引き起こす人が自分たちとは根本的に異質なわけではないーー少なくとも自分はそう思っている。きっと、各々が自分の中に持っている感覚や常識のずれがこうしたトラブルや衝突を引き起こしてしまうのだ。皆が自分の目でしか世界を見ることはできないし、他人がどんな目で世界を見ているかはわからない。もしかすると、自分のそれもわかっていないのかもしれない。個々人にその常識を作ってきた特有の人生がある。陳腐な言葉で言えば、各々事情があるのだ。
だからといって、別に人の気持ちを考えようとか、彼らに対して穏健な態度をとるべきだとか思っているわけでもない。厳しくない相手には増長してもよい、という常識を持っている人間だっている。毅然とした態度で相対しなければいけないことも多い。他人の事情より自分の事情である。
そんなことを考えていると、ようやく駅にたどり着いた。とりあえずハンカチで濡れた頭を拭き、電車を待つ。電光掲示板を見ると、どうやら10分ほど遅延しているらしい。電車を待っている間、コートの左ポケットでぐっしょりとぬれたハンカチが手を冷やしていた。
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