私はボーイスカウト活動に参加しているのだが、ボーイスカウトでは毎年夏、長野県に所有しているキャンプ場へとキャンプに出向いている。といっても、一般の方々が想像するような娯楽としてのキャンプではない。私たちが普段から指導している中学生年代の子どもたちが、ろくに電波も届かないような環境下で、いくつかのグループに分かれ、自分たちだけでテントを張り、ご飯を作り、10泊11日のキャンプを行うのだ。武者修行という表現が相応しいキャンプである。学校や学習塾とは異なる方法での教育を提供できるのがボーイスカウトの強みであり、そのことを標榜しているだけあって、なかなか過酷である。
私の年代は既に成人しているため、学生指導者としてキャンプに帯同している。子どもたちだけでの生活を監督する立場にあるのだから、野生動物や害虫から子どもたちを守るなど、それなりの責任を伴うキャンプであり、ただ単純に楽しむことができるわけではない。それでも私が毎年キャンプに参加しているのは、毎年何らかのドラマが生まれ、キャンプを通じた子どもたちの成長が目に見えて感じられて、大きなやりがいをもたらしてくれるからである。
今年は、諸事情で同じグループの子が全員キャンプに参加できず、たった1人でキャンプに挑むことになった中学2年生の男の子がいた。賛否両論あるところではあるが、指導者陣はその子の成長のため、他のグループに合流させることはせず、その子単独でキャンプをしてもらうという決定を下した。しかし、当然1人ではキャンプ生活を送ることはできず、指導者が1人付きっきりでサポートに回ることになったのだが、その指導者が私であった。
サポート役という建前上、私はその子を近くで見守ることしかできなかったのだが、私が見る限り、その子はキャンプを通し、とても強く、たくましく成長した。初日に体調不良を訴え、家に帰りたいとの気持ちを吐露することもあった中学生の男の子がたった1人で、雨に降られたり、孤独感に苦しんだりした日々を乗り越え、森の中で11日間のキャンプを完遂したのだ。最終日、凛々しい顔でサポート役の私にお礼を伝えてきた彼を見て、私は感極まって泣いてしまった。自分が中学生のとき、ここまでの精神力をもって何かを成し遂げることができていただろうか。
キャンプ最終日の彼の顔は未だに頭から離れない。今年の夏も、毎年恒例のキャンプはやはり、私にドラマをもたらしてくれた。