C12談話室という場所は、多様な住人と彼らの置いていく雑多なものたちが、集まり、交わり、散っていく場だ。季節が移ろうたびに、年が変わるたびに、少しずつその姿を変えていく。(もっとも、模様替えによって劇的に変わる瞬間もあるが。)談話室に溢れる本や落書きにふと目をやる時、これは誰が残していったのだろうと思うことがある。自分が入学するより前に住んでいた人の名残を眺めながら、自分がここで過ごした痕跡も、次第に薄れて、いつかは消えていくのだと思う。
昨年ある男が亡くなった。背が高くていつも下駄を履いていて、ぱっちりとした目でよく笑う人だった。彼はC12談話室に入り浸っていたわけではないが、日当たりの良い窓際の電子ピアノで練習していた姿を覚えている。ピアノの譜面台に残された練習曲の楽譜を見るたびに、これが彼に弾かれていたことを知る人も、じきにいなくなってしまうのだろうと思って、少し切ない気持ちになる。
彼はフルート吹きでもあった。食堂前のピアノで、椅子に正座してフルートを吹く姿が少し可笑しくて、それでも大変上手いものだから、少しフルートが吹ける程度の私は尊敬の眼差しを向けた。私がC12ブロックにたどり着いたのは、入寮選考資料の趣味欄にフルートと書いたところ、それを目に留めた彼が私を選んだからだった。後を追うように彼が所属する音楽サークルに入ることにもなって、今でも私はフルートを続けている。
また、彼は語学堪能で中でもロシア語とアラビア語ができた。私は語学が得意ではないにも関わらず、第二外国語で双方に挑んだが、どちらも見事に単位を落とした。エキゾチックな雰囲気が魅力的で、その時はなんだかできる気がしたのだ。この話は様々な歓談の場でまあまあウケるので持ちネタにしている。第二外国語のチョイスは自分の意思によるものと思っていたのだが、彼の影響は大きかったのかもしれない。
先日彼のお別れ会があって、集まった彼の友人・知人が思い出を語る時間があった。私も何か言うべきだと思ったのだが、何を言えばいいのかイマイチまとまらなくて、結局何も発言することなく終わってしまった。思えば、彼が亡くなる直前に個人的な事情で少し迷惑をかけてしまったのが、ずっと心残りだった。皆の前でそれを言えばモヤモヤが解消されるのかもと考えつつも、いくら問いかけても、いくら謝っても、もう返事が返ってくることはない。これは一人で抱えていくべきものなのだろうという思いもあった。この文章を書いていること自体がきっと、言えずじまいの折り合いなのだと思う。
彼とのラインでのやりとりの最後は、ずっと未読のままだった。お別れ会の後、少し疲れてしまってベッドで横になっていた時に、それをしばらく眺めていた。そして、少しの逡巡の後、「ありがとう」と追いラインをした。日はすっかり暮れてしまい、部屋は暗かった。
最近の談話室は、元気な新入寮生が多くてとても明るい。去年までいた先輩たちの不在を寂しく思う一方で、日常が形を変えながらも続いていく確かな感覚が暖かい。
C12民が気が向いた時に書く雑記帳がある。C12談話室にあるものはなぜか劣化が早いので、表紙はボロボロで、何かの拍子に捨てられてしまうのではないかと不安になる。その中に彼が好きなアニメについて語っているページがあって、登場人物のセリフから引用が残されていた。
「とりあえず、がんばってみることにしました!」
雑記帳にはまだ余白がいっぱいある。これまでに書いた人よりも、これから書く人の方が多いのだろうと思いながら、時折パラパラめくってみることもあるのだ。